仕事人の分類

覚悟ができている人は、言動や考えが違う。
それは覚悟によって自分を自分が満足するだけ認められている、ということなのではないか。

自分の存在価値について、自分が満足する評価を自分で持つためのルートが、2パターンあると思った。

…可能性を信じて覚悟し、自分を評価する

…諦めたからの覚悟で、自分を評価する


私の場合、以下のフローの途中だと思う。思いたい。

前者であれと考えている
⬇︎
しかし自分にコミット出来ない
⬇︎
可能性がぼやけてくる
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年もとってくる
⬇︎
自分の可能性を諦めた上で、しかし自分の存在価値を認める方法を考える
⬇︎
後者を選択し、言動が変わる


しかし、前者と後者では全く異なると思うのです。言動が。
多分。

この多分がすでにコミット出来てない、後者への道だったりする。

何が必要かって、コミットだろ、てのは根性論だと思っていて、あの彼もその彼も主戦場やイメージをちゃんと持ってる。目的みたいなわかりやすいものではなく、もっと漠っとした段階でもちゃんと持ってる。ような気がする。

最初は成長欲求と周りが見えてないことで、前者でも成り立つ一定の期間があると思う。
そういう事と関係している話なんだと思う。

その期間内に自然と漠っとしたものを掴めるかどうかが最初の篩。
篩から漏れた時に、後者に至るのか、何処かで掴むのか、が次の篩。
この篩からもれたら後者。

ただ第二段階をどう表現、あるいは、どういう期間なのか捉えられる別の視点が出来てない。
まぁそもそもそんな段階が存在せず、この発想が成長欲求の残り香ってこともあるんだろう。


今気がついたが、そもそも評価自体を諦める、というパターンがあるね。
世の多くはここなのかもしれない。