働くお母さんは疲弊している

女性の社会進出という背景が、色々なところ(少子化、晩婚化とか)に影響しているというが、

一番の影響が出ているのは、社会の最小単位の家庭だと思う。

 

子供が出来て改めて分かったが、子供にとって母親の存在はとても大きい。父親も親なのだが、どういうわけか役割が違う。きっと自然と違うんだと思う。

 

ジェンダー論とかあったと思う。(ちゃんと勉強したことはない)

ジェンダーも、Sexの生物的性とJenderの社会的性に分けて議論される。

私が聞きかじったようなジェンダーは、社会的性に生物的性を押し付けるために、女性の社会進出や社会での正当評価が阻害されるというようなものだったような。事実それはいまだにあると思う。

転職で結婚したての人は敬遠される。理由は子供を産む可能性が高いから。社員に子供産まれてしまったら(会社は本当にこう考えていると思う)、その社員は使えなくなる。(本当に会社ってこういうものだと思う)

そういう意味で、会社ってとても男性的なものだと思う。

会社で活躍できる女性は、いわゆる、おとこ女みたいなタイプで、生涯独身で休業なく働けないと、活躍の場を提供されることも難しい。その上で女性特有の周期的に来る体調不良もディスアドバンテージとして抱えながら、会社で活動しなければならない。

 

では、家庭と子供を持ちながら、おとこ女でいることは可能か。

多分トレードオフすれば成立可能。

どういうトレードオフかというと、家庭における女性の関わりを大幅に減らす(育児、家事全般)事で、会社に時間を当てること。

その上で、家事と、育児のルーティンの部分を、男性か外部にアウトソースする。(男性にアウトソースというのは前提が男尊女卑的で良くないですね)外部アウトソースが難しい場合は、男性はおそらく活躍の場は与えてもらえなくなるくらいはやらないとダメ。少なくとも会社という極めて男性向けな組織においては。(場は会社組織以外の仕事の場にもあるはず)

あるいは、子供はまあご飯食べれば良いくらいにしておいて、その分仕事に充てる。

 

しかし、ここで思うのが、冒頭に戻るが、

子供がいる家庭(社会)にとって、女性の生物的要素の関与を減らすことは、とても困難だと思う。

子供にどういう影響を与えるかも問題になる。子供における母親(女性)の重要度は、定量的に言えないが、実感としてとても大きい。本当に子どもはご飯食べてればよいくらいで良いのかという。

 

その重要さを果たすは、子供に接する時間、またその時間における母親の気持ちの余裕、が必要。

母親が気持ちの余裕を持つには、単純に接するのに必要最小限な時間だけではなく、余裕をもてる時間のマージンも必要になる。

子供に限らず機械的にだけ接していては相手は満足しないだろう。極端な表現ではあるが、笑顔なのか、無表情なのか。笑顔になることは、誰でもできる簡単なことではない。

だからマージンの時間も必要となる。(男こそ、マージンないとうまく切り替えられない適合性、柔軟性の低い生き物のはず)

 

この母親に求められる役割や時間は、もはや性差(生物的)であって、男性とのあらがえない違いだと思う。

 

男女雇用機会均等法が本来女性が求めるものでは全くなかったというのは、こういう事なのではないだろうか。

しかし、それを知らずに社会に進出した女性は、きわめて男性的な組織である会社での活躍という楽しみを覚え、家庭を持つこと、母親になって会社で活躍できなくなることを疎ましく感じる。女性であることに不満を感じるようになる。

だから自分が会社で活躍することに理解の無い男性とは結婚したいと思わないし、子供も作らなくなる。

 

 今日ランチの時に隣の女性が、あの男性の××な仕事の能力欲しいわーと言っていた。

しかし、能力の多さという意味で言うと、腕力があまり重要視されなくなった現代では、女性の方が男性より能力は多いと思う。出産という決定的な能力の差もある。

 

性差ってとても大きく、今の男性的な組織と仕組みでは吸収しきれないものが多分にあると思う。しかし、女性の方が能力はあるし。

世の働くお母さんはみんな疲弊している。男と女にならないといけないから。

今の枠組みとは違う方法を考えて実行まで移さないと、この状況は変わらない。